日蓮宗 一乗山妙法寺

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  • 日蓮大聖人のような驚き志を持って(機関紙本門第154号掲載) 住職 井村一誠

    2013年01月01日

    法話

    日蓮大聖人(58歳)が身延入山、5年後、弘安2年(1279年)、駿河国(現在の静岡県中央部)の富士方面では、日興上人が中心となって折伏・弘教が進められ、天台宗などの僧侶や信徒が、それまでの信仰を捨てて、大聖人に帰依するようになりました。そのために、地域の天台宗寺院による迫害が始まり、大聖人に帰依した人々を脅迫する事件が次々に起こりました。熱原の農民信徒20人が無実の罪を着せられ逮捕されました。鎌倉に護送され侍所の平左衛門之尉の私邸に連行されました。「以後法華経を信じないという起請文を書け」、「念仏を唱えろ」と、拷問に等しい取り調べを受けました。全員がそれに屈せず、信仰を貫きました。神四郎・弥五郎・弥六郎の3名の兄弟は斬首、他の物は追放となりました。この「熱原法難」事件の時、弘安2年10月1日、鎌倉在住の門下に、「獅子王のような強い心を以て法華経の為に遭進せよ、臆病にして退転することがあってはならぬ」と、四条金吾を介して門下の大覚悟を歓誡せられたお手紙が「聖人御難事」です。

    そのお手紙の一節に「日蓮末法に出でずば、仏は大妄語の人、多宝・十方の諸仏は大妄語の証明なり。仏滅後二千二百二十余年が間、一閻浮提の内に仏の御言を助けたる人、ただ日蓮一人なり」と。

    「日蓮が末法の時代に出て法華経を弘通し大難にあわなかったならば、『而もこの経は如来の現在すら、猶、怨嫉多し。況や滅度の後をや』、予言された釈尊の金言も大妄語となってしまい、また釈尊の言葉を『皆是れ真実なり』と証明された多宝如来や十方の諸仏の証明も大妄語となってしまうでしょう。釈尊滅後二千二百二十余年の間に、世界中で釈尊の金言を身をもって証明したのは、ただ日蓮一人だけである」という意味です。

    「仏の御言葉を助ける人、日蓮一人なり」。と、言い切り、熱原の法難において、信者に対し、「・・・・・・各各獅子王の心を取り出して、いかに人をどすもをづる事なかれ・・・・・・」と、信仰を貫くことを勧誡されている。そして、迫害にたいしては、「我等現には此の大難に値うとも、後世は仏になりなん」と。信仰を貫けば、後世には必ず仏になれると覚悟を持たせています。日蓮大聖人という大導師のもとでこそ熱原農民のような不退転の信者が育つのでしょう。

    昨年11月23日、少年部・青年部を主体にして「日蓮聖人のお山を訪ねて(身延山登山)」を計画しました当日は予報通りの雨出発となりました。大人26名・子供16名(小学生9名、幼児7名)です。途中スタッフと打合せ、雨が止まなければ予定の変更も考えました。子供達を連れて登るには無理はできません。身延の山門をくぐる、雨は?濡れるような雨は降っていません。参加者に聞く「このような天候ですが登りますかー」。待っていましたとばかり、「はーいッ」、バスのなかが一変に明るくなりました。曇り模様で出発、途中、杉の木立から薄日が差す程に天候も回復。紅葉も手伝い全員、感激の登山でした。

    この子供達はこれからの日本を背負う宝器です。妙法寺の宝でもあります。熱原の農民のような、日蓮大聖人の宗教を貫く人間に育って行って欲しいと願っています。その為には導師である住職が大聖人のような篤い志を持って望まなければなりません。

    人は、出会う人によって成長をすると言います。妙法寺との出会いはお題目との出会いです。お役が果たせるように精進してまいります。

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