日蓮宗 一乗山妙法寺

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  • 為に種種の法を説く(機関誌 本門 第163号掲載)住職 井村一誠

    2017年07月16日

    法話

    毎月、月初めにお参りに行くご家庭(Aさん)があります。現役の頃は米国で車の部品メーカーの社長を務め、一線を引いてからは大府市に在住し、油絵を趣味として、語学力を活かしてベトナム人に日本語を教えるボランティアをされています。

    平成二十三年の初頭に奥さんを亡くされ、葬儀のご依頼をいただいたことがご縁で、月命日にはお参りに行き、自慢の絵を見せて戴いたり、仏法談議に花を咲かせたりして今日に至っております。

    四月の末頃に月参りの日程変更の事で連絡を取るも、携帯も自宅電話もお出になりませんでした。五月の初め、再度電話を掛けたところ、出られたのは三月頃から同居を始めたベトナム人家族、二人子持ちの若夫婦の奥さんでした。先月の月参りの時に紹介されていましたので、
    驚きはしませんでしたが、「先生、肺炎で刈谷の総合病院へ入院しました。しばらく退院できません・・・」と、片言の日本語で言うのです。このベトナムの若夫婦は大府市内の企業に勤め、Aさんの日本語教室で知り合ったのです。同居のきっかけは、二人が生徒としてAさんと接する内、家庭にも出入りするようになり、足腰のふらつきや生活の不摂生さが心配になり、見かねてAさんに同居を申し出たそうです。その若い夫婦は非常に勤勉で、真面目で、Aさんの事を色々心配してくれて、ほっておけない、一緒に住んでお手伝いをさせて欲しいと申し出たということです。

    電話がつながり、事情が分かったので、後日見舞いに行きました。病室を訪ねると、Aさんが元気で迎えてくれて開口一番、「今は少し落ち着きましたが、もう大変でした。命拾いしました」と言って、これまでに至った経緯を話してくれました。「四月の初め頃、風邪をこじらせて肺炎になり、近くの総合病院に行ったら十日間の治療を要すと診断。四日目にレントゲンを撮ったら肺の状態が良くなっていたので退院をした。ところが退院後の養生が悪く、咳が再発、同居のベトナム人夫婦が、もう一度病院にかかった方が良いと勧めたが、私はそれを無視していた。その後容態は悪くなるばかりで、同居のベトナム人夫婦が見かねて、救急車を呼んでくれてここにいる。手遅れになるところを命拾いしました」と。「Aさん仏様に守られていますね」と言うと「そうなんです。私一人でしたら今ここにいません。今回程、もう一度生きたいと思ったことはありません」と、しみじみと振り返りながら語ってくれました。この日、帰り際にベッドの横で病気平癒のご祈念をさせていただきましたところ、一週間後メールが届きました。「先日はご多忙の中お見舞いいただきありがとうございました。またもったいなくも私のためにご祈祷いただきありがとうございました。あの時はこの生命ここまでかと思うとともに、なお生きたいと痛切に思いました。同居のベトナム人家族とこれからも生活を共にしたいのです。お上人のお見舞いの甲斐もあって、その後の回復は医師も私も驚くほどでこの週末には退院の運びとなりました」と。

    後日談で、「今回の事で、東京にいる息子・兄弟・親友との温かい関わりの中で、今日の自分があること。そして今年三月頃から始まった若きベトナム人家族との同居についても、家族等に理解をしていただけたことは実にありがたいことでした」と、語ってくれました。

    自我偈の後半「我常に衆生の 道を行じ道を行ぜざるを知って 度すべき所に随って 為に種種の法を説く」とあります。我(釈尊=久遠の本仏)は常に衆生(私たち)が常に信仰の心を持っているかどうかを見守り、種種の法(信仰の心を起こさせる、救いの手立て)を説いていると仰せです。

    この原稿の下書きをAさんに見ていただきましたところ、「ありがとうございます。この度の事で仏様の救いについて、少し理解が深まったような気がします。今後、もう一歩踏み込んだ信仰を求めていきたいと思います」と、正しく仏様はAさんに信仰の心を起こさせるための種種の法をお説きになったのだと思います。

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