日蓮宗 一乗山妙法寺

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  • 臨終に臨んで(本門 第174号掲載)住職 井村一誠

    2022年10月16日

    法話

    小牧の伊奈家に嫁いだ長女晴美の義父、伊奈和幸市は、令和4年7月29日、行年79歳で
    今世での生涯を閉じられました。

    2年程前、血液の癌を発症し、治療を続けていました。今年5月、主治医より余命数ケ月
    の告知を受け、臨終は自宅で迎えたいと、覚悟をし家族の元へ帰りました。家族を集め、
    俺が死んだら、妙法寺で葬儀を挙げてくれ。骨は近くの墓苑に等々、後の事を託しました。

    亡くなる前日、容態が変わってきたので、家族を集めて最期のお別れをしたそうです。

    65歳の定年まで、真面目に勤め、その後は市の温水プールの監視員の仕事を十年勤めました。

    60代から70代にかけ、夫婦で七面山に登ったそうです。初めて七面山へ登山された
    時の様子をお聞きし、何と無謀すぎると思った程です。ご主人はともかく、奥さんは登山
    に耐えられるような身体ではないと思っていました。標高1989メートル、山梨県の南側に
    位置する日本二百名山の一つです。ロープウェイも無く、標高差千五百メートル近くある
    道のりを4、5時間かけて登っていきます。平地がなく、ひたすらに急な坂をのぼって
    いくため、決して甘くはありません。その山を十年間、毎年お題目を唱えながら登山した
    そうです。法華経信者を守護する「七面大明神」様のお導きが無ければなしえない業です。

    15年前、長男の伸英さんが、私の長女晴美との結婚の了承を得に我が家に来ました。
    私は法華経とともにもらって頂ければ、これに過ぎたる縁はないと返事をいたしました。
    娘には嫁入り道具代わりにご本尊、ご仏像、仏具等を持たせました。早速、伸英さんは、
    階段式の三段の仏壇を作り、伊奈家のお題目信仰の第一歩を記しました。

    日蓮聖人が57歳の時、身延にて出筆された「上野殿御返事」は、大石寺開基の上野殿
    (南条時光)に与えられた御消息文で、時光が姪の姫御前が死去したことを身延の
    日蓮聖人に伝えたお手紙へのご返事です。

    日蓮聖人は、この姫御前と度々手紙のやりとりをされており、3月の中頃、「病状が
    急変しこれが最後の手紙になります」と書かれた手紙が届きます。さらに時光から臨終
    に際し、この姫御前が「南無妙法蓮華経」と唱えて亡くなったことを知らされ、「日蓮が
    説く法門がもし間違っていたならば、臨終にあたり正念を得ることはできなかったで
    あろう」と、姫御前の純粋な信仰を讃えています。さらに文末では「今、末法の時代に
    入って法華経以前の教えも、法華経も経文のままでは役にたたない。ただ南無妙法蓮華経
    だけが大事である」さらに「この法華経に他の教法を交えることは、大きな間違いで
    ある」と諭されておられます。

    故伊奈和幸さんは、日蓮聖人がお説きになる法門を理解されていたわけではないと
    思いますが、七面山登詣等を通し、自然に体得されていかれたのだと思います。

    主治医より余命数ケ月の告知を受け、後の事を法華経に託し家族の見守られる中、臨終を
    迎えられたことはお題目のなす業、伊奈家に対する仏様の説法経化の姿ではないでしょうか。

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