日蓮宗 一乗山妙法寺

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  • 次世代に向けて(機関誌 本門 第160号掲載)住職 井村一誠

    2016年01月01日

    法話

    昨年戦後七十年、本年は妙法寺になって十年です。平成十八年四月、「新寺建立開闢慶讃天童音楽大法要」。 妙法会から妙法寺へ記念すべき日でした。戦後に横須賀の地で産声を上げたお題目の集会、塚本たし先生、坂かよさんの地道な努力が実り、昭和四十九年に宗教法人妙法会の設立となり、初代会長に塚本たし先生が就任されました。昭和五十七年、横須賀の道場が手狭になり、車社会の進出で駐車場等の確保が求められ、現在の雉子野の地へ新道場が建立されました。私三十三歳、結婚後十年目の年でした。当時職場の勤務地が上野町の電話局でしたので、原付バイクで通勤をしていました。職場の帰り毎日のように建設現場に寄り、新道場建設の進捗状況をカメラに収めるのが日課でした。こんなでっかい道場造ってしまって、もし人が集まらなかったら、運営は大丈夫なのか、閑散とした法座の状況を頭の中に描いては先の心配をしていました。新道場は私の心配をよそに無事完成し、昭和五十七年四月四日落慶法要が営まれ、導師を父・安田信好が勤め、隣で塚本たし先生が木鉦を打っておられるお姿が印象的でした。当時の行事は春の先祖追善供養祭、夏のお盆法要、昼と夜二回に分けて開催しておりました。昼夜合わせて、五、六百人の信者様が集まられ、盛大に法要が営まれました。会の運営や、道場が広すぎて困ること等、少しも心配いりませんでした。今思うと、塚本たし先生、坂かよさんのお徳と、ご尽力のお陰と感謝の思いでいっぱいです。

    昭和六十三年四月一日、初代会長の塚本たし先生ご逝去(享年七十九歳)され、父・安田信好が二代目会長となり、平成の世を迎え、私は道心寺蟹江一肇上人を師匠として、平成五年出家得度。翌年、信行道場三十五日を経て、日蓮宗の僧侶となりました。平成十年三月、三十二年間在職したNTTを希望退職し、平成十年度の日蓮宗一百日(十月一日~翌年の二月十日)の荒行堂に最高齢五十歳で入行し、皆様方の篤いご支援をいただいて無事成満いたしました。そして平成十七年四月、妙法会三代目の会長として父より法灯継承し、翌年日蓮宗妙法寺の開山となりました。

    戦後から七十数年にわたって「南無妙法蓮華経」のお題目が絶えることなく、お釈迦様のお心「法華経の教え」が語り継がれてまいりました。実に尊いことだと実感いたしております。

    宗門に所属し日蓮聖人の宗教を学ぶ中で、今の時代だからこそ、絶対欠かすことのできない教え、現代に通用する宗教であると、改めて確信を致しました。現代人の心の病(信心を亡失)に利くお薬は、「南無妙法蓮華経」のお題目です。このお題目を信じ・唱え・伝えていくことが、お釈迦様や日蓮聖人の願いを叶えることになるのです。

    横須賀道場の二階に集まった若者たちは、今六十代を迎えています。今の妙法寺の土台を手弁当で築いてくださった方々です。心底より感謝申しあげます。これから次の世代を背負って起つ方々が、未来に希望を持って人生を生きて戴くためにも「南無妙法蓮華経」のお題目の尊さをお伝えする、日々の精進をお誓いいたします。

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