日蓮宗 一乗山妙法寺

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  • 日蓮聖人御降誕八百年を控え (機関紙本門第168号掲載) 住職 井村一誠

    2019年10月20日

    法話

     当山山門くぐると、正面に二本の幟が立っています。「南無妙法蓮華経 日蓮聖人御降誕八百年記念」と記されています。来年が東京オリンピック開催、その翌年、令和三年が日蓮聖人御降誕八百年の記念すべき年です。
     日蓮聖人は、貞応元年(一二二二)二月十六日、千葉・安房小湊にて父、貫名次郎重忠、母、梅菊の漁師の家に生まれました。幼名を善日丸と名付けられ、十二歳房州一の名刹清澄寺、師匠道善房に師事し名前を「薬王丸」と頂かれました。勉学に励まれ十六歳出家。「是聖坊蓮長」と僧名を頂き、諸宗を研鑽すること二十年。教主釈尊の出世の本懐は法華経にありと結論付けられました。三十二歳、お世話になった、故郷の安房小湊、清澄山の山頂にて、日輪に向い、立教開宗宣言「南無妙法蓮華経」のお題目の広宣流布を誓われました。しかし、受け入れられず、布教の拠点を鎌倉に移し、辻、辻に立ち日本の国を救わんと獅子吼されました。この頃より数年、天変地異が続く中、正嘉元年(一二五六)大地震が鎌倉を襲いました。日蓮聖人は岩本の実相寺で、一切経を読み直し大惨事の原因を追究しました。「教主釈尊の本意、法華経を用いなければ、国が亡ぶ」と、立正安国論を幕府に「奏進」しました。これを契機に大難四か度、小難数知れず。法華経の行者たらしめるかの如く、三類の強敵である俗衆増上慢(法華経の行者を迫害する、仏法に無智な人々)、道門増上慢(法華経の行者を迫害す同門の僧侶)、僭聖増上慢(人々から聖者のように仰がれている高僧)からの迫害を受けました。
     佐渡流罪中に著された「開目抄」に、「仏の語に虚妄はなく、三類の怨敵は既に国中に充ちている。然るに法華経の行者の見当らないのは仏の金言に偽りがあるのであろうか。そのような事のあるべき道理はない。一体法華経のために悪口されたり罵られたりしたのは誰であろうか。法華経のために刀杖の責苦にあったのは誰であろうか。法華経のためにその筋へ訴へられたのは誰であろうか。法華経のために数々処を追われて流されたのは誰であろうか。日蓮より外に日本国中に見出すことは出来ないであろう。しかし諸天が捨てて守護されないから、かくいう日蓮もまた法華経の行者ではないのであろう。然らば、誰を法華経の行者として仏の予言を實證しうるのであろうか」という一文が有ります。
     お釈迦様の出世の本懐を証明できるのは、法華経の行者(上行菩薩)の出現しかありません。教主釈尊の末法衆生の救済は、法華経の行者無くしては実現できません。自問自答しながら、安に法華経の行者は日蓮だと読み取れます。
     教主釈尊は、滅後末法の衆生の救済について心を痛めておられました。日蓮聖人は「智恵忘国御書」の中で「末代悪世の人々は、貪欲(自己の欲するものに対する執着心)・瞋恚(怒る心)・愚痴(うらみ、ねたみ、そねみ、憎しみの心)の心が並外れていて、いかなる賢人・聖人でも治めることができない」と、お示しです。
     今、令和元年、末法悪世です。世はまさにスマホ全盛の時代です。電車の中でもほとんどの人がスマホに夢中です。本や新聞を読んでいる人はめっきり少なくなりました。悪世というイメージはありません。便利な世の中になり、動画を見たり、漫画を読んだり、ラインで連絡を取り合ったり。しかし、いいことばかりではありません。三毒強盛の私達です。使い方を間違えれば、犯罪やトラブルに巻き込まれる恐れがあります。確かに、スマホは便利です、多くの情報を提供してくれます。しかし判断は私達自身です。貪り・怒り・愚痴の三毒に冒された重病人の人知で、本物か偽物か、正しくジャッジできるでしょうか。スマホ、活用の仕方次第では益々信仰心が無くなる時代に拍車をかけることになります。お題目を唱えるということは、仏様の実在と救いを信じることです。自然に仏様の智慧を授かる事です。スマホの情報を、何が真実で、何が偽物か見分ける智慧が自然に働くのです。三毒の病からも解放されるのです。日蓮大聖人御降誕八百年、次世代に向け、改めてお題目広宣流布をお誓いいたします。

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