日蓮宗 一乗山妙法寺

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  • 五体不満足から学んだもの(機関紙本門第170号掲載) 住職 井村一誠

    2020年10月18日

    法話

    「老化は足から始まる」と言われ、ウオーキングを週3日の日課にしていましたが、7・8月頃はお盆行事で休みがちになり、8月の後半頃からまた始めました。無理をしたわけでもないのに、1,2日経つうち、右ひざに痛みを感じ、立ち振舞いが不自由になりました。そのうち治まるだろうと、高を括っていましたが痛みは治まらず、近くの整形外科で受診しました。院長が、レントゲン写真を見ながら「膝の骨や筋肉には異常は認められませんが、膝と骨と皮膚の間に菌が入って腫れている症状です。こういうケースはままあることです」と、「抗生剤、痛み止め、胃薬を一週間分出しておきます」の診断でした。薬が効いて日に日に回復し、不自由な生活から解放されました。年齢と共に体の動きの衰えを感じていた矢先の出来事でしたので、いつもの身体に戻れたことが、何物にも代えがたい喜びでした。

    日蓮聖人、佐渡流罪が許されて3年後(56歳、1277年・建治3年、身延在中)、四条金吾に出されたお手紙(崇峻天皇御書)の一節です。

    「一代の肝心は法華経、法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり。不軽菩薩の人を敬いしは、いかなる事ぞ。教主釈尊の出世の本懐は、人の振舞いにて候いけるぞ」と。お釈迦様が生涯説かれたすべての教えの中で、肝心要の教えは法華経であり、法華経の修行の肝心は「不軽品」に説かれている通りである。いかなる迫害に遭おうとも相手をひたすら礼拝続けた不軽菩薩行動は、何のためであったのか。それをよく考えなさい。教主釈尊がこの世に出られた真の目的は、衆生が釈尊の教えを日々の生活に振舞いとしてあらわすことにあるという意味です。

    四条金吾は鎌倉幕府の北条氏の一族、江間光時に仕える武士で、武術に優れ、医術にも通達していました。文永8年(1271年)の「竜の口法難」の折りには殉死の覚悟をした程の信心篤き弟子でした。このころ、主君の江間氏に法華経に帰依することを勧めたことにより、主従の関係が悪化し、又、同僚らの讒言により主君より「法華経の信仰を捨てなければ、所領を没収する」と迫られ、厳しい状況におかれました。金吾は日蓮聖人の指導を仰ぎ、迷うことなく、法華経の信仰を貫いていきました。そんな中、主君の江間氏が重い病に倒れ、医術に心得のある金吾が治療にあたることになったのです。この報告を受けた日蓮聖人は四条金吾の気性を心配され、短気が故に身を滅ぼした崇峻天皇の故事を通し、感情をあらわに行動することのないよう戒められたのが本抄です。

    今回、右膝の一過性の故障で、不自由さを味あわせていただきました。この不自由さは近い将来、加齢と共にやがて己が身に受ける不自由さであると、振り返りました。私の将来の身の不自由さ姿を見せてくれているのが、今年95歳を迎えた父です。あらゆる意味での人生のお手本です。五体の不自由さを味あわせていただいた分、思いやりのある振舞い、親孝行に生かせと、仏様からのご指南と受け止めさせていただきました。

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