日蓮宗 一乗山妙法寺

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  • 法華経一途の父のお陰 (本門第172号掲載) 住職 井村一誠 

    2022年01月01日

    法話

    今でこそ、「今日の自分があるのは父のお陰です」と、胸を張って言い切れますが、ここ四、五年前までは、何時になったら、温かい親子の関係になれるのかと、半ば諦めていた。

    現在、日蓮聖人の教えを信じ、「南無妙法蓮華経」のお題目を唱え、伝えることに生き甲斐を持てるのは、父に法華経が有ったからだと言える。

    父が還暦の時にまとめた自分史『一筋の道』を読んだ。ひたむきに生きてきた姿が目に浮かぶ。現代はパソコンで自由に原稿が書け、鉛筆も消しゴムもいらない。すぐに印刷もできる。当時は、ガリ版刷りで、鉄筆で原稿を書き、失敗すれば、これまた修正が大変であったのに本当に多くの印刷物を発行したものだと関心をする。四畳半二間で、親子七人、そこに祖母が同居して、子育て、嫁姑のあつれきを抱え、教員の傍ら、師塚本たし先生を支えての布教活動。地区法座への移動は初め自転車、やがて原付の二輪車、「雨にも負けず、冬の寒さにも負けず」の精神である。法華経は経典の解説書、歴史書等をほぼ独学で学び、法華経二十八品を解説講義していた。平成十八年、妙法会から日蓮宗の寺になって、日蓮聖人の教学により法華経を学んだ。

    晩年の父は、施設に入所した母を毎日見舞い、枕元でお自我偈を唱えた。母は「お父さんのお陰」と、口癖のように笑顔で返した。

    しかし、法華経一筋に生きてきた一面は評価できるが、教えを説くものとしての言動を問うと、決まって口論とない、持ち前の自己顕示欲の強さは改善されず、よく衝突をしたものだ。お陰で父に対する批判的な思いは法華経に向き合う原動力となった。

    平成二十八年五月十一日、母はこの世を去った。その年の八月、父は実弟の米寿の祝いに招かれて私の弟と出かけた。車中、高速料金の支払いのことで端を発し口論となった。帰路も口論は続いたという。

    後日、弟は父に対する不満を過去に遡り、その心の内をA4サイズ用紙六枚にまとめ、私に見せてくれた。荒療治だが、父に見せたほうが良いと思った。弟に「親父にみせてもいいか」と聞くと、任せるという。弟の書いた文章を父に見せた。父は黙って読んだ。・・・「どう、立ち直れる?」・・・「大丈夫だ・・・」と、複雑な心境の面持ちで気丈に答えた。父は受け入れたように思った。

    「何時になったら温かい親子の関係になれるのか?」。あれから五年後の今日、昼食後、父の肩に止まって親孝行のまねごとをしている自分がいる。

    父との葛藤が、法華経を学ぶ原動力となり、日蓮聖人の弟子となる道筋に繋がった。父の法華経一途のお陰で、南無妙法蓮華経のお題目を信じ、唱え、伝える立場にいる。

    法華経一途の父のお陰です。

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