日蓮宗 一乗山妙法寺

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  • 兄弟子 一恒上人と最後の会話(本門第173号掲載)住職 井村一誠

    2022年07月17日

    法話

    令和四年五月七日遷化、瑞光山道心寺第二世 蟹江一恒、道祥院日法上人、世寿七十二歳。

    私は、一恒上人の父故蟹江一肇先生を師として平成五年五月一日出家得度、六番目の弟子となりました。それ以来一恒上人とは良きライバルでもあり、私にとっては良き磨き手でもありました。

    今日まで、お互いの寺の法要の時に行き来するだけで、プライベートなお付き合いはありませんでした。数年前に体調が良くないことを風の便りで聞いていましたが、特に様子をお伺いすることはしませんでした。また、今年の一月十八日の加木屋の法座(村瀬康徳さん宅)では、欠席された一恒上人に変わりご長男の一泰上人が父一恒上人からの伝言を交え法話されていましたが、何れ健康を回復されお戻りになられるであろうと思っていました。

    ところが、今年二月初め、体調を崩し、検査、入院という状況をお聞きしましたので、思い切って電話をしてみました。留守番電話に「体調が良くないようだけど、今から自我偈十回転読、お題目唱えます。一恒上人もお題目を唱え、病魔を克服して下さい」と伝言しました。その後、着信履歴に気付き掛けなおしましたが、お出になりませんでした。

    三月初め、再度お電話すると、お出になりましたが、気怠そうな様子でした。私が「体調はどうですか」とお聞きすると、「みんな騒ぎすぎだわ」とおっしゃいました。容態が良くないと聞いていましたので、「今日、こうして坊さんとして、独り立ちできているのは一恒さんと云うライバルがいてくれたお陰です。百日の荒行へ挑戦できたのもそうです。一言御礼が言いたくて電話いたしました」。「ありがとう」。「今から自我偈とお題目唱えます。一恒上人もお題目をお唱えください」と申し上げると「ありがとう」と答えられました。この電話が一恒上人と最後の会話となりました。

    一恒上人との思い出は、平成十年度の大荒行堂百日修行に入行をする時のことです。私は、名古屋を出発する前日まで秋の刈り入れの農作業をしておりました。はざに干した稲束を脱殻中に、ゴミが目に入り取れなくなりました。一晩中病んで翌朝、一恒上人に電話をし事情を説明すると、良い眼科を紹介して頂き何とか無事出発に間に合うことができたのです。一恒上人のお陰で荒行堂初行を成満することができました。

    日蓮聖人は、種種御振舞御書の中で「今の世間を見るに、人を善く成す者は、方人よりも強敵が人をば善く成しけるなり」と、お示しです。

    一恒上人は強敵ではありませんが、善き刺激を与えて頂いた大恩人です。其の御恩に報いるためにも教主釈尊の本意「妙法連華経の五字七字」をお伝えするよう精進してまいります。

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