十年前、夫を亡くし当山とのご縁ができた御婦人。お寺の行事に参加し、住職の顔をみおて、一言二言の会話を楽しみにしてくださっていました。
5月25日早朝、ご家族からの訃報電話で、急に体調を崩し、お亡くなりになられことを知りました。
昨年8月のお盆の棚経に伺った時には、別れ際に冗談で「もしも冥土の旅に逝く時は、もう逝くからちゃんと挨拶に来て下さいね」と、
他愛のない会話を交わしていました。午後2時頃、枕経にゆくことで電話を切りました。
とうとう逝ってしまわれたかと、独り言。御婦人は手先が器用で、裁縫・編み物の教室を開いていらっしゃいました。私も手編みのベストを
いただいたことが懐かしく思い起こされ、心にぽっかり穴があいたような感覚でした。
午後2時頃、ご自宅へ伺い、枕経を唱え、当時の状況をご家族から「お聞きしました。四、五日前に体調を崩し病院に掛かりました。娘さんの
はなしによると、ある時、「お寺にゆきたい」と言ったそうです。そして、亡くなる前日、「病院からの帰り道にお寺に行ってきた」と話された
そうです。娘さんが「お母さん、ずっと病院に「いたでしょう」と聞くと、「お寺に行ってきた」を繰り返したそうです。
この話を聞いて、思い当たる事がありました。確か二十日前後、夜の11時頃、勝手口をコンコンと叩く音が聞こえ、こんな時間に誰かなと思わず
「どうぞ」と答え、戸を空けました。しかし、誰もいない、玄関もお勝手も確認する。二階の本堂はお位牌もあり、納骨前のご遺骨・遺品等が
置いてあります。ひとまずお参り。目に見えない来訪者に読経・唱題・回向をさせて頂きました。
二日後、お寺さん仲間と食事の折、この件を話題にしました。あるお上人が、「井村さん、直にその意味がわかりますよ」と、言われました。
そして、冒頭の訃報連絡です。このような話はよく聞きますが、私自身の身に起こることはちょうとびっくりでした。
日蓮上人の有力な信徒、富木常忍氏が日常の信仰のあり方について問われたことに対する返事です。
『四信五品鈔』の中で、「問う、その義を知らざる人、ただ南無妙法蓮華経と唱えて解義の功徳を具するやいなや。答う、小児乳を含むに、その
味を知らずとも自然に身を益す。耆婆が妙薬、誰か弁えてこれを服せん。水、こころなけれど火を消し、火、物を焼く、あに覚あらんや」
(解説)お尋ねするが、その道理を知らない無知な者が、ただ南無妙法蓮華経と唱えるだけで、理解した者と同じような功徳を得られるかどうか。
お答えしよう。赤子が母の乳を飲む時に、いちいち味がわからなくても、自然に発育していくようなものだ。また、インドの名医である耆婆が
調合してくれた妙薬は、薬のことはまったくしらなくとも、信じて飲めば重病も回復できるものと同様であると。
御婦人が、法華経の教義をりかいされたかどうかはわかりませんが、住職を通して素直に仏様と対面し「南無妙法蓮華経」と唱え、仏様の救いの
世界に導かれていかれたのだと思います。
ここからは私の推測です。その喜びを霊山浄土へ向かう前に、お寺を訪ね、住職に挨拶し、ご本尊にお礼を申し上げるために二階の本堂へ。
後から来た住職の法華経読誦・唱題を聞きながら、一緒にお参りされ霊山浄土へと向かわれたのだと。お盆棚経での住職との『約束』を果たすべく、
一連の奇跡を現じられました。お題目の妙の世界に逢わせていただいた姿は、仏様からの説法教化と受け止めさせていただいております。
住職 井村一誠