日蓮宗 一乗山妙法寺

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  • 信心を貫いた井上厚子さん(機関誌本門第175号掲載)住職 井村一誠

    2023年07月16日

    法話

    聴覚障害の子供を抱かえ、途方に暮れた中で法華経と出会い、南無妙法蓮華経のお題目を杖、柱にして、90年の生涯を閉じられた井上厚子さんのお話です。

    井上さんは昭和30年6月に長女真理子さんを出産し、その後長男隆さん、次女晴世さんの3人を授かりました。真理子さんは3歳の時、乳飲み子である隆さんと共に麻疹にかかりました。ご主人の健三さんは、隆さんが生後45日目の時肺結核で入院、2年間の療養生活を強いられました。

    その麻疹のウイルスが原因で真理子さんだけが耳が聞こえなくなってしまったのです。当時は麻疹の予防接種はありませんでした。親戚の人からは「厚ちゃんがあんな子を産んで・・・」と、蔑まれ誰も手を差しのべてくれませんでした。

    病院の診察で、「もう聞こえることはありません、聴覚障碍者です」と診断されました。井上さんは、とぼとぼと帰り道、呆然と踏切の前にたたずんでいました。あまりの辛さに、いっそ列車に飛び込んでしまおうかと思ったその時お乳がはって来たそうです。隆さんは未だ1歳の乳飲み子でした。「こんなことをしていてはいけない」と、我に返ったそうです。当時の井上さんは乳飲み子を抱え、看護と育児で一番大変な時期で、それからはこの聴覚障害者の真理子さんを救いたい一心だったそうです。

    昭和50年頃、妙法会の法座を開設していた、高横須賀町の花井さんの御親戚の方に、買い物先で「いいお話を聞かせていただけるところがある」と誘われました。当時、暗い日々を送っていた井上さんは、すがる思いで参加させていただいたそうです。花井さん宅の法座で、塚本たし先生のお話をお聞きし「私のような者でも幸せになれる」と、生きる希望を戴いたそうです。真理子さんの聴覚障害のお陰で、法華経の信仰に入ることができ、乾いた対地に降った雨が吸い込まれるように、仏様の慈悲の世界に導かれて行きました。

    日蓮聖人、椎地四郎殿御書に、『生死の大海を渡らんことは、妙法蓮華経の船にあらずんばかなうべからず』と、ご指南です。生死の大海とは、私たちの生涯のことです。人生は生老病死、災害、事故等様々な困難が降りかっかってきます。この人生を生き抜いていくためには、どんな荒波にもびくともしない妙法蓮華経の船に乗ること以外に方法はありませんという意味。船に乗るとは、仏様の実在と救いを信じ「南無妙法蓮華経」と、唱える一途な信心を貫くことです。その後、3人の御子息はそれぞれ、所帯を持たれ現在に至っています。井上さんは晩年、法華経で救われた体験談を法座等で話され、信仰の大切さを伝えていらっしました。本年8月、御主人の13回忌を前に5月16日天寿を全うされ霊山浄土へ旅立たれました。行年90歳でした。お元気な頃、時々電話が掛かってきました。「おはようございます。井上です。ちょっとおはなし、よろしいですか」、日々の信仰の喜び、お孫さんの成長、野球や相撲等スポーツ観戦のエピソード等々聞かせていただきました。井上さんの活きた法華経の体験談の数々、お題目広宣流布の為に役立たせていただきます。
    ご冥福をお祈りいたします。 南無妙法蓮華経

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