日蓮宗 一乗山妙法寺

お知らせ

  1. トップページ
  2. お知らせ
  3. 信の力(機関紙本門第156号掲載)住職 井村一誠
  • 信の力(機関紙本門第156号掲載)住職 井村一誠

    2014年01月01日

    法話

    「そもそも法華経と申す御経は、一代聖教には似るべくもなき御経にて、しかも『唯仏与仏』と説かれて、仏と仏とのみしろしめされて、等覚已下、乃至凡夫はかなわぬ事に候へ。されば竜樹菩薩の大論には、『仏已下はただ信じて仏になるべし』と見えて候」これは日蓮聖人御書「上野殿母尼御前御返事」の一説です。

    「そもそも法華経というお経は、仏一代の聖教の中では、他に類のない立派なお経で、しかも『ただ仏と仏のみ』と説かれているように、仏と仏のみが理解できるのであって、仏以下の凡夫は理解できないものである。したがって竜樹菩薩の大智度論には、
    『仏以下の物はただ信の力によってのみ仏に成れる』と記されている」という意味です。

    信とは、教主釈尊の実在と救いを素直に受け入れる(受持)ことです。釈尊の慈悲のお心に対し、疑いのない信心を持つことです。

    昨年の妙法第137号で茂田井教亨先生の「法華経入門」の一節を紹介させていただきました。「私達は道徳的・人間的な悪には割合感じるが、法に背く罪には感じないのが普通である」と。法に背く罪、ここが問題だと仰しゃっておられるのです。法に背くということは、釈尊のお心(慈悲の働き)を拒否することになります。人智には限りがあり、万能ではありません。五欲に惑わされるような不確かな人智を頼りに人生の荒波を乗り切れるでしょうか。私達の行動は釈尊の実在と救いを信じ、受け入れることから全ての行動原理が生まれてくるのです。

    昨年11月、お寺の法座で若いご婦人が、実家が法華経に改宗することを決意した話をされました。彼女は常々実家の父を法華経に導きたいと願っていました。父親は本家でもあり、長く地元に居ながら改宗することには迷いがあったようです。しかし祖父(89歳)が末期がんで治療を続けていた昨年の夏、抗がん剤もだんだん効かなくなり、かえって体力を消耗することになるので投与することをやめました。医者からもそんなに長くないと言われていた8月の始め、彼女の両親が来られ「父が亡くなった時には妙法寺でお世話になりたい」旨を話されました。

    翌日、不思議なことが起きたのです。病院から呼び出しがあり出かけていくと、祖父を一般病棟から、緩和ケアー病棟は移す話でした。以前より医者から病状が悪化した祖父を早く緩和ケアー病棟に移ることを勧められていましたが、競争率が高いので半ば諦めていたところ、突然の朗報に家族も大変驚かれたようです。緩和ケアー病棟に移った祖父は、広い部屋で、トイレ、風呂、看護人のベッドまで整っており、あまりにも違う環境の変化に驚き、喜ばれたようです。お陰で容態も好転し食事がとれるようになり、四ケ月経つ今もそれなりに元気だそうです。

    私は、仏意にかなった父親の決断に驚きと、静かな感動を覚えました。そして父親の心の変化について彼女の妹が、「母は静かな人ですが、法に対しては譲りませんでしたから、信心の強さは、おばあちゃん似かなぁ~」と、語ってくれました。改宗には消極的だった父親の心を動かし、決断に向かわせた背景には、母親の強い信の力が働いていたのだと思います。

    「信の力」というものを、目の当たりにし、改めて釈尊の慈悲の働きを伝えていく大切さ、逆に「法に背く罪」について、気付いていただくように勤めて参らねばと、新年を迎え新たな決意で取り組んで行きたいと思います。

ページの先頭へ