日蓮宗 一乗山妙法寺

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  • 仏様のお導きに従って(機関紙本門第158号掲載) 住職 井村一誠

    2015年01月01日

    法話

    昨年9月27日11時52分、御嶽山(標高3067m)が噴火しました。1979年(昭和54年)水蒸気爆発。有史以来初めての噴火から35年です。10月15日現在、死者54名。行方不明者6名。1991年6月3日雲仙・普賢岳の大火砕流以来、普賢岳の43名を超え、戦後最悪の噴火災害となりました。

    先日、婦人部のある方から、御嶽山噴火について身内に起きた次のような話を、お聞きしました。

    9月27日の22時ごろ、弟から蚊の鳴くような元気のない電話がかかってきたそうです。「床に入って休んでいたら、体が金縛り状態になり、高校生の女の子が現れて、『ここに小学生の子がいる、御嶽山の方向へお題目を送ってほしい』と訴えている。どうすればいいのか」と、助けを求めてきたそうです。とっさのことでもあったので、「御仏壇の前で、お自我偈とお題目を唱えてあげなさい・・・」と伝え、自分たち夫婦も御本尊の前で一生懸命お参りをしたそうです。しばらくたって、弟さんから「体が楽になったよ。ありがとう・・・」と、今度は明るい声で、電話がかかってきたとのこと。姉に当たる方は、まるで高校生の女の子がお礼を言っているかのように聞こえたと、当時の事を興奮気味に語ってくれました。

    最初婦人部の方からこの話しを聞いた時、あまり信仰熱心でもない彼の処へ噴火の犠牲者が「お題目を送ってほしい」と、救いを求めたのは何を意味するのでしょうか?日々、私達の身近に起きる出来事について法華経は答えています。

    法華経・譬諭品第三の中に「今此の三界は 皆是我が有なり 其の中の衆生は 悉く我吾が子なり 而も今此の処は 諸々の患難多し 唯我一人のみ 能く救護を為す」と。(この宇宙は私(仏)のもの、その中の衆生は皆、私の子どもである。そこで悩み苦しむ子どもたちを救うことができるのは私一人であるという意)。又、自我偈の一節には、「我常に衆生の 道を行じ道を行ぜざるを知りて応に度すべき所に随いて 為に種種の法を説く」と。(私は常に、衆生が仏意に叶った道を行じているかどうか見極めて、
    それぞれの程度に合わすべき手立てを考えているという意)。仏様が衆生救済の為の心配りが説かれています。

    後日、本人の口から詳しく聞きたくて電話をしました。彼は、なんで自分のところなのかと不思議に思っていました。姉に言われた通りお題目を唱えたら体がだんだん楽になっていったそうですが、左肩が3~4日痛かったと語っていました。

    彼とは40年前(当時20代)、未だ横須賀の道場(塚本たし先生の自宅)時代に一時期を過ごした仲間でした。「ところで、貴男は今でも朝夕のお詣りをしていますか?」と、尋ねました。「・・そう言われれば自分も十年位前に大病を患い、生死の境をさまよった時期がありました。今、いただいた命を生きています。それなのに、信仰の生活を忘れていますね・・」と、申し訳なさそうでした。「今回の出来事は、貴男をもう一度信心の心を起こさせるべく、仏様のお導きだったのかもしれませんね。これを機会に、朝夕のお参り、毎月の法座へもお出かけください」と、信仰の継続を勧めました。

    日蓮聖人の宗教は、教主釈尊の救いに対し、絶対信を以ってお題目を唱えることです。我慢偏執の心無く南無妙法蓮華経です。この心を以て、今年も仏様の手足となって働かせていただきます。

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